第8幕 勇者 河野博明

第8幕 勇者 河野博明

19億円の累積赤字村営から民営化後、2期目で黒字化を成し遂げた野沢温泉。
「和の総合型天然スノーリゾート」の地域一体型ビジネスについて、地域地消の伝統文化の下で育った生粋の地元トップアルペンレーサーでもある勇者に学ぶ。

1.野沢温泉のビジネスモデル

 野沢温泉村の歴史等に触れながら村営から民営化にされた野沢温泉スキー場を運営管理する㈱野沢温泉の現在の取組みについて、①収益活動、②地域振興活動、③教育活動に分けて話しをしていただいた。
 収益活動の主な内容としては、夏場はトレイルランニングや遊歩道を使用したトレッキング、温泉健康施設等で、冬場は索道、スクール、レストラン、レンタル等である。地域振興活動の主な内容としては、長野県と取組んでいる元気づくり支援金、野沢温泉村と取組んでいる姉妹都市との交流事業、北信州スノースポーツ活性化評議会と取組んでいる教職員研修等である。人材教育活動の主な内容としては、幼・小・中の一貫教育を行っている「野沢温泉学園」の活動である。具体的にはスキーを柱として、英語学習やふるさと学習等を行っているということであった。
 その他に野沢温泉村と一体的な運営を表している取組みとして、スキー場安全条例の制定も紹介していただいた。

2.民営化後のマネジメント

 スキー場の市場動向のデータを踏まえながら、野沢温泉スキー場が村営から民営に切り替わった過程を説明してくれた。経営においては、「雪国文化の開発はスキーに如かず」を原点としているということであった。組織づくりでは、村からの出向職員を当初の3年から2年に短縮し、社員を31人から10人に減らし、アルバイトも約50人削減したと説明してくれた。具体的な取り組みとして、ハード面では重複するリフトの休廃止やバス区間の再整理等の施設運営の効率化、バスターミナルや駐車場の新規建設、トイレの整備等、ソフト面では村民や社員の意識改革、広告宣伝活動や販促活動の活性化等を挙げてくれた。また、野沢温泉村をより魅力のある街にしていくには、人が外に出てそぞろ歩きしたくなる環境を作っていくことが必要で、そのためにクルマが入れない街づくりを提案しているということであった。

3.キャリア

  河野氏は、村の子供がそうであるように幼少時よりスキーに慣れ親しんで育つ。高校卒業後も選手生活を続けるため、スキーメーカーに就職する。在職中は工場でのスキー板の製造に携わりながら選手生活を送るが、23歳の冬に選手を辞めると同時に退職する。退職後は野沢温泉に戻ったが、スキークラブへの入会はすぐには許されなかった。先輩方が推薦をしてくれて入会が許され、家業を継ぎながらジュニアコーチとして後進の指導にあたることになる。その後は、長野県スキー連盟のコーチ、全日本や中国代表チームの育成に関わりながら、日本国内で開催されるワールドカップや長野オリンピック等の大会運営にも携わることになる。1992年に野沢温泉スキークラブの理事長へ就任し、1998年には同クラブの会長に就任する。そして2005年、野沢温泉スキー場の指定管理者制度となった㈱野沢温泉の初代社長に就き、現在に至るのである。
 このように自らの人生を振り返ったうえで河野氏は、「自分には味方も多いが敵も多い、社長としては49対51でも良いので過半数の人に支持してもらうように心掛けている」と語ってくれた。

4.質問セッション

 賢者の須賀氏からは、北陸新幹線が開通して顧客の流れが変わることで、野沢温泉のビジネスモデルを変革していかなければならない可能性があるが、どのように考えているか?という質問が出された。また、野沢温泉は株式会社であるが一つのコミュニティになっており、今後の発展を考えると外国人や若者といった村民以外の人々を受け入れていくことも必要になるのではないかというコメントも頂いた。



講師プロフィール

■プロフィール
河野博明
■主な経歴
(株)野沢温泉代表取締役社長
日本スキー発祥100周年委員会事務局長
合同会社野沢温泉観光協会副会長